Enzo Mari

Enzo Mari

マリは、イタリアン・デザインのみならず、世界のデザイン業界で屈指の論客として広く知られています。 50年代からデザイン関連の前衛運動に加わり、アルテ・チネティカ・グループに参加しました。そこでブルーノ・ムナーリと知り合い、『16の動物』と『16の魚』などその後の作品に影響を及ぼすことになります。 1963年には「グルッポ・ヌオーヴァ・テンデンツァ」のコーディネーターとなり、1965年のザグレブ・ビエンナーレで同グループの展示を組織します。 1963~1966年には、ミラノのNPO法人であるスクオーラ・ウマニターリアで教鞭をとりました。これが初の教職体験でしたが、以降2000年代までミラノ工科大学等の有名校をはじめ数々の学校で教壇に立っています。ミラノ工科大学では工業デザイン・建築学科に講座を持ったほか、パルマ大学では美術史を教えました。 このころ、デザインに関する独自の理論を深く追究し、製品・グラフィック・映画セット等の分野における仕事で実践にうつしました。こうした深遠な学究的業績に対して、1967年には「デザインに関する研究」を対象に金のコンパス賞を受賞しています。 1967年にはガッビアネッリとの10年に及ぶコラボレーションもスタート。「デザイン・タイル」のための装飾をデザインしてほしいという要請を受けたマリは単なるグラフィック的な役割を拒んで、複雑な哲学的行程に着手、これが壁面装飾の概念の根本的な見直しへとつながったのです。マリは(1968年の「Elementare」シリーズ、1978年の「Traccia」、1981年の「Decorato a Mano」等)タイルに過去の技術を復活させ、ベーシックな表象を使って形態と色彩による詩をつくりあげました。 1974年にマリは美を追求する「Funzione」を発行、デザインを語るにあたって製品ではなくデザイナーを中心に据えました。 1972年にマリはニューヨーク近代美術館で開始された「イタリア:新しい家庭の風景(The New Domestic Lnadscape)」展に参加しました。大きな意味を持つこの展覧会は、世界に冠たる「メイド・イン・イタリー」ブランドの誕生を告げるものであり、ヴィーコ・マジストレッリ、エットーレ・ソットサス、パオロ・ロマッツィなど、時代を代表する偉大なデザイナーたちの作品が参加していました。 マリはダネーゼ社のリバーシブルな器「Pago-Pago」 (1969) を出品しています。これは上下反対にして使用するとまったく違う美しさを見せてくれるというABS樹脂成型による花びんです。どんな条件でも完璧というデザインを創り上げるのは不可能であるところから、柔軟な使用が可能なアイテムを、という発想から生まれた作品です。 1976 ~1979年にはマリは、優秀なデザインに対して与えられる金のコンパス賞の発行母体として知られるADI(インダストリアル・デザイン協会)会長を務めました。 1983 年に、パルマ大学は、同大学のコミュニケーション・アーカイブ研究センターにマリが8500点に及ぶオリジナルのスケッチやデザイン画のコレクションを寄付したことに対して、マリの個展を開催しました。 マリの作品はローマの国立近代美術館、ニューヨーク近代美術館、パリのルーブル美術館等、世界中の主な美術館、デザイン美術館に収蔵されています。 マリは2001には「Progetto e passione」を発表。 2008年にはトリノの近現代美術ギャラリーが国際デザイン年を記念して、マリの名作展を行いました。