Gio Ponti

Gio Ponti

建築家、デザイナー、アーティストのジオ・ポンティ(ミラノ出身、1891~1979年)は、1921年にミラノで学業を終え、まず1927~1933年にはエミーリオ・ランチャとミーノ・フィオッキと手を結びました。1927年にランチャ、ブッツィ、マレッリ、ヴェニーニ、キエーザと、家具や高級なオブジェを提案するための会社Labirintoを創設。1923 ~1930年の間、リチャード・ジノリのアート・ディレクターを務めました。1928年に雑誌『ドムス』創刊(一時的な中断はありましたが、死ぬまで同誌の経営に携わっています)とともに、ポンティは業界のイタリア製品の革新を目指して積極的に寄稿し、新しい気運を高めます。モンツァのビエンネーリをはじめ、ミラノ・トリエンナーレ、金のコンパス賞、ADI(工業デザイン協会)に中心的存在として参加し、支えました。また、建築家としてのポンティは、近代都市としてのミラノを象徴する高層ビル「ピレッリ」を、1956年にフォルナローリ、ロッセッリ、ネルヴィと共に設計しました。1951年に、第二のモンテカティーニ宮殿の仕事を行いました(ポンティが公共の宮殿作業を最初に行ったのは1938~39年のことです)。1957年にはCassinaのために名高い「Superleggera」をデザインしました。この作品は長く実り多い共同作業の頂点ともいえるものです。建築・デザインの仕事以外に、ポンティは教育の分野でも活躍し、1936~1961年の間、ミラノの建築学部で教壇に立っています。